2024年7月20日 全国高校野球選手権神奈川大会の準々決勝で横浜高校と桐光学園高校の試合がありました。
6回表、桐光学園高のでセカンドの守備をしていた選手とランナーが衝突し、「守備妨害」じゃないか、と
横浜ベンチがアピール。試合は一時中断となり騒然となりました。
横浜高校の村田浩明(むらた ひろあき)監督は説明を求めるため、13番の栗山大成選手を伝令に送りますが
覆らず、7度の伝令を送るという珍事がありました。
村田浩明監督は過去にパワハラ問題なども報じられることがあり,今夏は主将を2年生選手を指名ということで
何かと賛否がある監督ではあります。
一体どういう経歴を踏まえた監督なのでしょうか。強いチームを作り上げる人物像に迫りたいと思います。
村田浩明は選手にパワハラをした?
村田浩明監督は2023年の秋季大会で部員にロッカールームでの叱責する怒号を記者に
ICレコーダーで録音され、newsポストセブンに報道されています。
頭がおかしいんじゃねぇか! コラァッ!(中略)もっとできるはずだろ!
私もこの報道時に音声データを聞きました。
何か、壁か何かを叩いているような音がし、部員が謝るような声も確認できました。
ただ、村田浩明監督はこういう感じだな、と私は思っています。
試合に勝ったとしても、生ぬるい内容であれば、檄を飛ばします。
もっと手を抜いた方が楽なんじゃないかな、と思いますけど、いつも全力で本気で選手にぶつかるのが
村田浩明監督という気がします。
そのやり方は、今の時代にそぐわないかもしれませんが、その本気を見せられるから、選手もついていき、
結果を出しているのではないでしょうか。
横浜高校監督の村田浩明の経歴は?
村田浩明監督のプロフィールです。
名前 | 村田浩明(むらた ひろあき) |
生年月日 | 1986年7月17日(38歳) |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
職業 | 教員 |
中学時代は「川崎北シニア」に所属。
村田浩明監督が小学6年生の時に、松坂大輔選手率いる横浜高校が甲子園で優勝し、
同じ神奈川勢として、横浜高校に入学したいと思ったそうです。
横浜高校では捕手としてプレーします。
2年時の2003年春の甲子園大会準優勝に貢献
3年時には主将就任。夏の甲子園ではベスト8入りに貢献
同級生には涌井秀章選手や、石川雄洋が選手がいました。
ぼくはキャプテンなので、厳しいことをめちゃくちゃ言われる。6月の東北遠征では、ダルビッシュ有がいた東北高校(宮城)との試合前に、小倉コーチと些細なことで言い合いになって、『だったら、試合に出ねーよ!』と反抗したんです。スタメン発表したあとだったので、『いいから、お前は試合に出ろ』と言ってきたんですけど、『出るわけねぇだろう!』とまた反抗。小倉コーチはとんでもなく怒っていましたけど、こっちも納得いかなくて……。この試合でぼくの代わりに出たのが福田で、そこで大活躍。小倉コーチも『お前なんて、もういらねぇよ』となったんですよね。今思えば、幼かったと思います」
https://number.bunshun.jp/
この後、スーパー一年生の福田永将選手の活躍もあり、村田浩明監督は二番手捕手になります。
控えのキャッチャーってほとんどサポートに回り、試合に出ることはないですよね・・・。
指導者にキレるということは選手の立場ではそうないはずなので、よっぽど強く言われたにしても
村田浩明監督は感情を出しやすい性格なのかもしれませんね。
横浜高校監督の村田浩明の学歴は?
村田浩明の小学校はどこ?
ただ、川崎市高津区にある「溝口第三サンダース」という少年野球チームに小学4年生から所属していました。
このクラブチームは活動拠点が川崎市立高津小学校なので、村田浩明監督も同小学校に通学した可能性が強いです。
小学6年生の時に、神奈川県少年野球大会で準優勝をします。
同じ日に横浜高校が優勝し、当時の横浜高校の監督であった渡辺元智監督と、
小学6年生の村田浩明監督が翌日の新聞の紙面に横並びで掲載され、横浜高校を意識するようになったそうです。
その新聞の記事、見てみたいですね!
村田浩明の中学校はどこ?
ただ、川崎市立高津小学校の近辺に川崎市立高津中学校があるので、同校に進学した可能性が高いですね。
中学時代は「川崎北リトルシニア」に所属し、練習にまい進しました。
川崎北リトルシニアは横浜高校とのパイプがないので、横浜高校に進学したかった村田浩明監督は
悩んでいたようなのですが、当時横浜高校野球部の小倉清一郎部長にスカウトされました。
中学時代から強肩捕手で打撃もいい。バランスの取れた選手
と、評していました。
小倉部長とは高校三年生の時に大喧嘩したと前述しましたが、恩人なんですよね・・・。
「叱る」というのは期待するからこそ。
指導者になった今となっては村田浩明監督も理解しているはずです。
村田浩明の大学はどこ?
将来は、指導者、教育者に進もうと、日本体育大に進みます。
硬式野球部に所属しましたが、うまくいかず、3年生になる頃にはほぼ休部状態でした。
横浜高校野球部の厳しい練習に耐えてきた選手でも大学野球は厳しいんですね・・・。
母校を訪ねると、手伝ってみないか、と渡辺元智監督に誘われ、大学3年生の冬から学生コーチとして
チームに参加することになります。
指導者として野球を教えたい
その思いが募るようになり、神奈川県立高校の教員採用試験を受験することを決意しました。
【真相】村田浩明が阿部葉太に主将を指名したのはなぜ?
全国高校野球選手権神奈川大会の抽選会には通常主将か、マネージャーが参加となるのですが、
この日訪れたのは、二年生の阿部葉太(あべ ようた)選手でした。
「チームを変えてくれ」と5月中旬くらいに村田浩明監督から託されたそうです。
三年生にも素晴らしい選手がたくさんいるのに、と、驚きました。
そして驚いたのがメンバー表でした。
3年生 9名
2年生 6名
1年生 5名
最後の夏に賭ける三年生をもっとメンバー入りさせられないの?と誰しも思うでしょう。
阿部選手の主将起用であったり、スタメンに三年生をつかわないというたびに、村田浩明監督はネットで
叩かれています。
公立の人数不足の高校じゃあるまいし、全国から優秀な人材が集まっている横浜で3年生に主将適任者が一人もいなかったのでしょうか。 長年の横高ファンですが、なんかしっくりこない。プロ野球じゃなく高校野球なんだから。
https://news.yahoo.co.jp/
2024年6月30日、雨の中、野球部の専用グラウンドで必勝会が行われました。
本当は3年生全員を(メンバーに)入れたい。彼らだったら絶対にやってくれると思うのですけれども、その中でも20人しかメンバーに入れないので、夏は夏の戦い方をしなければいけない
部員76名のうち、20名しかエントリーできない。
横浜高校の野球部の門をたたく生徒というのは、中学時代も名の知れた選手だと思います。
その中で、汗水たらし、必死でやってきた三年生を選びたい、と情は湧くでしょう。
苦渋の決断だったと思います。
サポートメンバーになった三年生の部員の言葉です。
- 今選ばれた20名なら、去年の悔しさを晴らし、絶対全国制覇してくれると思ってます。
- 暑い日も寒い日も一緒に練習してきた仲間と最後の夏の大会を本気で頑張ろうと思います。
- この村田監督が選んだ20人なら絶対にやってくれると思っています。
- 全国制覇するために、肩が壊れるくらい、バッティングピッチャーしたり、全力でサポートする
- 誰よりも体が動く自信があると思うので、みんなは困ったときは自分を使ってください。
- 監督が自身を持って選んだ20人だと思うので、自信を持ってプレーしてほしいです。
(引用:横浜高校マルチメディア部)
村田浩明監督が選んだから間違いない、と信頼を寄せ、サポートにまわるから使ってほしい。
みんなで甲子園に行こう、という気持ちが伝わってきて、胸が熱くなります。
村田浩明監督のやり方は、外から見るとめちゃくちゃに感じるかもしれませんが、強さの秘密は選手との厚い
信頼関係で成り立っているのだと思います。
まとめ
横浜高校野球部の村田浩明監督監督の経歴についてまとめてみました。
なにかとアンチがおりますが、強いからこそ!です。
私はこの熱さ嫌いじゃないです・・・。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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